私の中の・・・祈るということ
私は初孫でとっても母方のおじいちゃんにかわいがってもらったのです。
でも、私がまだ記憶に残らない頃におじいちゃんは亡くなりました。ばーちゃん家の大きな仏壇(小さいからそうみえたんかも)の前に座り、じぃちゃんを眺めていた、仏壇の上に飾って有る黒い枠の中のじぃちゃん。
そしたら、ばーちゃんは、私のそばに来て、あんたはほんまに可愛がってもろてたーって話をよくしてくれて、それは、母からも聞いていて、いつもそのじぃちゃんを眺めていては、傍にいる感じの人でした。
小学校に入ったころ、じぃちゃんが夢に出てきたんです、四角い枠の写真のじいちゃんが喪服を着てる。そして、私の手を引いてくれるのです。ちっともこわくない。安心していて穏やかで、でも、夢って知っているから、なんでじぃちゃん夢に出てきてんやろ?と思っていました。
母に伝えたら、お盆だからじゃないの?墓参りに行こう。そういわれて墓参りにいったものです。
それからというもの、彼岸や、正月、お盆、節目になるとじぃちゃんが夢に出てくる。
なので、自主的に墓参りに行きたいという気持ちになっていました。今の私は、もうすでにそのような儀式がなくてもいつも繋がっていると思っていますが、そうやって節目で手を合わせる事が多かった。その時にいつも、じぃちゃんに話していたのは、嬉しかったこと、だった。。あのテストのとき助けてくれたよねーとか、ブランコで思いっきり飛び降りて飛んだら凄い飛べたんは、じぃちゃんやろ?となんだかそんな風に話していた記憶もあります。
だから嫌なことがあっても、安心があった、じぃちゃんという存在があるから大丈夫。きっとこれが、私の「祈り」の始まりだったのかもしれません。
大人になり、自分で何かを表現したいと思って出会ったロミロミ。
ハワイのクムは、lomilomiは祈り。祈りそのものだよ。天地を繋いで、それでお互いの愛とマナ(エナジー・波動)を循環するんだよ。良い悪いはない、ただ循環するだけよい。
プレ(祈る)事をするのがlomilomi・・・これを聞いた時に私の中でわーーっなんとなく知っていて、でも言語化するのが難しい素晴らしいこと。という感覚からますますlomilomiの世界に惹かれていきました。
祈りとは日常当たり前にそばにあるものだけれど、それを目の前の方とセッション(lomilomi)しシェアできるのか!!ってそれって凄いこと!と思った。
不思議な世界に惹かれる私には、エステ的な要素ではもともとから見ていなかったのです。 時々エステ的に受け取ってらっしゃるとかマッサージみたいに感じてらっしゃる方もいらっしゃいますが、私にとっては、天と地を繋いで愛と感謝を循環するものがLomilomiです。
そして、その後私がアシスタントでつかせて頂いていたある先生に、あんた、彼と一緒になるのは、彼がそうしたんじゃない。彼のご先祖さんが行列をなしてはるで、毎日祈りなさい。それで呼ばれてるんやね。
そこからのご縁で高野山でお勉強されている先生にサロンで心の勉強のクラスをやるように勧められてそのような活動もしていました。きっと私がもっと祈りたいと思ったからそんな事を具現したんでしょう。
この彼というのは、旦那様です。
この時は、心の中の嫌な自分を消してしまう祈り、心の在り方を学んだのです。
その後も祈りに触れる機会は未だにあります、ACIMワークブックも私の好きなこと一つ。
今の私にとっての祈りとは、息吹のように自然なもので、大きな世界に預けてしまい想いと感謝を馳せる事。
いつもお空の上で見てくれている。そして、大地が支えてくれている。そして有難うを体験させていただいている。
丁寧に過ごす時間の中で、祈りを通して、赦しや感謝、気づきを受け取り全て(天・地・人)(心・体・魂)(自然・人・神)を繋げるものだと思ってます。
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